年代世界初のスウェット誕生
1920年、高校でフットボールチームに所属していた創業者の息子ラッセル・ジュニアが、
それまではウールで製造されていたフットボールシャツをコットン素材に改良することを父親に提案する。
汗によって皮膚のすりむけが起こったり、着心地が悪くなることを改善できると考えたからだ。
年世界初のスクリーンプリントを開発
1938年、世界で初めてスクリーンプリントを手がける。今でいう、アメリカンラバープリントの原型。
ハイスクール、カレッジのスポーツユニフォームへの躍進が始まった。
年代
第二次世界大戦時に、米軍への訓練用ウェアを支給。
(この当時のスウェットパンツを90年代の広告に使用)
ラッセルの製造社ナンバーの「WPL7232」。この番号はRUSSELL創業から現在に至るまで変わらない、製造者「#」です。100年前からRUSSELLの製品(ネーム・洗濯表示)にはこの「#」が入っています。しかし、第二次世界大戦時の軍への支給品や消防士への支給など官給品についてはRUSSELLのブランドロゴは外されるため、この製造者#だけがネームについている製品がネットや古着店の貴重なビンテージ品として売られています。(このことは古着通でもあまり知られていません)
年
プリント手法に改良を重ね、1962年、ついに「ラス・プリント」という驚異のプリント技術が完成した。
たとえウェアは擦り切れても、ラス・プリントだけは残る。」というキャッチコピーにより全米のスクール、カレッジへの納入が飛躍的に拡大する。
「ラッセル・マニュファクチャリング・カンパニー」から「ラッセル・ミルズ」に社名変更する。この時から、現在のロゴの原型である「R」マーク(イーグルR)を採用する。「R」の右下部分に、象徴である白頭鷲が残る。
年
アスレティックウェア部門の名称が「ラッセル・サザン・カンパニー」から「ラッセル・アスレティック」に変更される。
年
日本支社名が、「FTLジャパン(株)」に社名変更。
年
日本において、プロ・コットン、ハイ・コットン、NU BLENDの歴代3シリーズを軸とした、スウェット、Teeシャツのラインナップを復刻、発表。