HISTORY

創業

創業者:ベン…

当時のラッセ…

工場内部

創業地:アラバ…

創業地:アラバ…

1902年3月3日、26歳の創業者ベンジャミン・ラッセルが、アラバマ州アレキサンダー・シティに「ラッセル・マニュファクチャリング・カンパニー」を設立。

年代世界初のスウェット誕生

1923年 事業拡…

1920年、高校でフットボールチームに所属していた創業者の息子ラッセル・ジュニアが、
それまではウールで製造されていたフットボールシャツをコットン素材に改良することを父親に提案する。
汗によって皮膚のすりむけが起こったり、着心地が悪くなることを改善できると考えたからだ。

世界初のスクリーンプリントを開発

この当時のネックラベル

1938年、世界で初めてスクリーンプリントを手がける。今でいう、アメリカンラバープリントの原型。
ハイスクール、カレッジのスポーツユニフォームへの躍進が始まった。

年代

1940年代の本社

製造社ナンバー「W…

第二次世界大戦時に、米軍への訓練用ウェアを支給。
(この当時のスウェットパンツを90年代の広告に使用)
ラッセルの製造社ナンバーの「WPL7232」。この番号はRUSSELL創業から現在に至るまで変わらない、製造者「#」です。100年前からRUSSELLの製品(ネーム・洗濯表示)にはこの「#」が入っています。しかし、第二次世界大戦時の軍への支給品や消防士への支給など官給品についてはRUSSELLのブランドロゴは外されるため、この製造者#だけがネームについている製品がネットや古着店の貴重なビンテージ品として売られています。(このことは古着通でもあまり知られていません)

年代

当時国内輸送用の…

スウェットシャツとユニオンスーツで米国内売上No.1になる。また、進化と力強さと統合を象徴する、アメリカンイーグル(白頭鷲)がブランドイメージとして採用される。

当時のデザイン担…

この当時のネックラ…

プリント手法に改良を重ね、1962年、ついに「ラス・プリント」という驚異のプリント技術が完成した。
たとえウェアは擦り切れても、ラス・プリントだけは残る。」というキャッチコピーにより全米のスクール、カレッジへの納入が飛躍的に拡大する。

「ラッセル・マニュファクチャリング・カンパニー」から「ラッセル・ミルズ」に社名変更する。この時から、現在のロゴの原型である「R」マーク(イーグルR)を採用する。「R」の右下部分に、象徴である白頭鷲が残る。

アスレティックウェア部門の名称が「ラッセル・サザン・カンパニー」から「ラッセル・アスレティック」に変更される。

この当時のネックラ…

「ラッセル・ミルズ」を現在の社名「ラッセル・コーポレーション」に変更。

現在のネック…

ナショナルフットボールリーグ(NFL)28チーム中の24チームにユニフォームや練習着を提供。

ロサンゼルスオリンピックで、米国代表ベースボールチームのユニフォームを供給

企業番付「フォーチューン500」に名前を連ねる

プロスポーツ…

プロスポーツ選手のトレーニング用に開発された高品質シリーズ「プロ・コットン」ライン発表。
現在、日本でのフラッグシップラインの位置付けとなる。

質量感と美しい風合いを誇るラッセルの代表的なシリーズ「ハイ・コットン」ライン発表。

ラッセル史上、最大の販売量を誇る「NU BLEND」ラインが誕生。

メジャーリーグベースボール(MLB)の公式サプライヤーとなる(2004年末まで)

カレッジベースボール、ディビジョン1のうち、55の大学へのユニフォームを提供する。

日本支社「ラッセル・ジャパン(株)」発足。

ラッセッル生誕 100周年記念

現在のUS…

本社近くにある…

米国最大規模のアンダーウェアメーカーである、フルーツ・オブ・ザ・ルーム社とM&Aによる合併。本社機能を、ケンタッキー州、ボーリング・グリーンに移す。

日本支社名が、「FTLジャパン(株)」に社名変更。

日本において、プロ・コットン、ハイ・コットン、NU BLENDの歴代3シリーズを軸とした、スウェット、Teeシャツのラインナップを復刻、発表。